ココロノ勉強会(「見守る」ことについての感想)

子供との向き合い方(見守り)について、話しができる環境にある事に感謝しています。

 「見守る事」が今回のテーマでしたが、親として子供という一人のひとに深く関われる事で人格を磨くチャンスが与えられていると思います。

 「見守る」とは子供との関わりの距離感を考える事で、主体性を伸ばす為のひとつの手段だと思っています。

 子供の主体性を重んじる理由は、幸せな人生を歩んでほしいから。

 良好な人間関係を築く為に大切なのは、直感力を鍛え、相手を受け入れ、相手に求めず、共有する空間や時間を共に感謝し楽しむ事だと思います。

 見守るというのは、この入り口だと考えます。大人がしっかりと見守るという手本を示す事で、相手の主体性を重んじて良好な人間関係を築き、幸せな人生を歩んでくれるのではと考えます。

 見守る為には見守る側の心のゆとりが大切だと思います。森や自然の中では心のゆとりが持ちやすいのではないかと思います。

 人も自然の一部。しかし、現代の生活では自然からの距離が離れ、生かされているより、生きているという感覚が強くなってしまっているのでは。自然をコントロールしているような錯覚に陥っている。また、物を作り所有しその事で、本来の人としての能力の足りない事の不安をまぎらわしているのではないだろうか。森の中ではそれがリセットされて本来の本能が働きやすいと思っています。

 子供の主体性=子供の感性、直感力を伸ばす事は、自然の一部として生きていく力を身につける事に繋がるはず。自分で感じて、誰かと共有し楽しむ。それが、森の中で出来ることは素晴らしい事だと思う。

 そもそも、人が生きる意味は何かを考えたとき、「幸せである事」だと思う。

 「幸せ」とは何か。それは、生きていることが楽しくて、居心地が良いだと私は考えます。

 しかし、幸せの概念は親により大きく異なると思う。

 幸せの価値観が近い人と一緒に過ごす事は、とても居心地よく次の幸せに繋がっていく。

 家庭の中では、生活の為にするべき事が沢山あり、子供の言動をしっかり見守るゆとりを作るのはなかなか難しい。

 森のようちえんへ通っている時間だけでも子供にとってはとても貴重だと思う。

 見守りの環境を作るというのは、大人側の勝手な思いだと思っています。それが、子供の為に最善だと思っているので、なるべく作ろうと努力していますが。

 本質は、幸せに生きるという事。子供に幸せでいて欲しいなら、まず親が幸せでいる事が何より大切だと思います。

 幸せな生活を過ごす為には環境作りが大切。

 自分が今、考えられる最善を、できる事から丁寧に、ひとつずつ積み重ねて行く事。

 子供は親の鏡だと言われますが、正にその通りだと思います。親がイライラしたり、不安に思っていると、それがそのまま子供に出てしまう。

 

環境を作れる、大人の責任は重大だと感じる。

 今、私が思う環境のファクターは①睡眠②運動③食事。 

 ①睡眠は全ての基礎となり、体や能を休め、新たな活動の活力を作り出す。

 ②運動は体の中の滞りをなくし、生活を豊かにしてくれる。ここで言う運動とは日中に横にならず活動する事。必ずしもスポーツという意味ではない。

 ③最後に、体を作る材料を補ってやること。また、美味しく、楽しく、感謝して自然の命を戴く事。

 物事には順番が大切でそれが狂うと、目標には到達しない。

 話題になりやすい教育や食育などが優先されてしまうが、生活習慣=(睡眠時間・日中の活動)の質を考える事がより大切だと感じています。

 生活の基盤が安定すれば、気持ちも安定し、健康も維持できる。

 その為に、私達大人がするべき事は、生きる本質を考え、「自分がしたい事」「自分がするべき事」「自分ができる事」この3つのバランスを上手にとりつつ生活を整えて行く事だと思う。

 大人にももちろん個性がある、育ってきた環境や技術力、要領のよさ思い、感じかた、様々な要素があり、みな違う。誰かと比較するのではなく、自分としっかり向き合い、できる事を

ひとつずつやっていけばよいと思う。

 ココロの勉強会に参加して皆さんの熱い思いを聞いて、思った事を長々と連ねてみました。

 想いが熱いと、本質が見えづらくなったり、無理をしてしまうというデメリットも生じてしまうので少し危惧してみました。

 すぎぼっくりを通してできた出合いを、関係性をいつまでも良好に保ちたいなと思っています。

そして今の環境にもとても感謝して幸せを感じています。


~すぎぼっくり保護者RS~

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